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V-net教育相談事務所
Not for “all”, but for “Every”――。
V-netでは、生徒たちを「All」(総体)とは見なしません。常に「Every」(個々人)と認識します。
V-netのレッスンは、松永をはじめ、熟練の教師たちが、子どもたちの能力、特性、習慣などを観察理解し、それに基づき、生徒一人ひとりに合った指導方法を合理的変幻自在に用いるものです。
「個」を生かす教育
V-netのレッスンには「型」がありません。生徒一人ひとりによって異なる内容のレッスンが行われることになります。
変わりゆく教育の現状。既存の枠組みから「はみ出して」しまう能力や個性を持った子どもたち。一般教育が行き詰まるのは、そこに「型」を当てはめようとするからだと私たちは考えます。
「起立・礼・着席」のような、学校教育で行われる形式的集団主義はその最たるものでしょう。そんな「個性」に反する教育の結果が、学級崩壊や不登校の問題であるとも言えます。
V-netで行われているのは、その対極にある教育です。子どもたち一人ひとりに対して、完全に対応を変えるレッスンを行うことで、真の意味で「個」を生かす教育を実践します。
「対話」・「知的啓発」・「エネルギー交換」
V-netの教師たちは皆、それぞれが熟練教師としての顔とは別に、芸術家や文学者、研究者といった顔を持っています。そのように多方面で活動していることは、「対話」・「知性啓発」・「エネルギー交換」をレッスンで行うために、欠かすことのできない素養なのです。
子どもの知的関心を思いっきり引きだしてあげること。同時に、彼らのアタマだけでなく、ココロをも元気に、活性化させてあげること。
そのためには「他者」との、そして「自己」との対話を行える、充分な力を養ってあげることが大切です。
レッスンを通して、これらがなされるには、教師自身が旺盛な知的好奇心を持ち、対話を含む自己の活動に積極的な人物である必要があります。
つまるところ、単に勉強を教えるだけでの教師では、真の意味で生徒のアタマを良くすることはできません。何となれば、教育とは全人格的な行いであるからです。
V-netでは、協力団体を通して「焚き火の会」を毎月行っています。また、その教室は日中「フリースクール」の活動の場となっています。これらも知的関心の啓発や心身の活性化を目的とした、V-netの理念をレッスン以外の場で具体化した活動であると言えるでしょう
日本語了解能力の充実
V-netでは、まず学習の土台となるものを体得させ、それを縦横無尽に伸ばして行く学習方法を推進します。では、その土台とは何か。それこそが言語了解能力です。
私たちは日本語を読み、日本語で対話し、日本語で思考します。したがって、この能力を十分養うことは、「学習」から「学問」に至る学びの土台をつくります。その上で、数字を自由にイメージし、物事に対して試行錯誤するアタマの習慣を身につける。
その具体的方法とプロセスとして、まず日本語の文章が読めること(音読)、日本語の文章が自在に綴れること(作文)、そして暗算ができること(サイコロ計算法)、パズルをする習慣を積ませることを重視しています。
これらの能力の延長線上にこそ、無理のない形での教科学習、受験学習の構築が可能となると考えています。
「学」とは本来「楽」につながるものだったはずです。そのためには「学」によりアタマが良くなることを実感させることが大切でしょう。子どもたちに、こうした学びの本質を体感してもらうことこそがV-netの教育の目的です。
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